2016年11月8日火曜日

いつか必要になるかもしれない。という悪魔の囁き

”いつか必要になるかもしれない。”

誰もが何かを捨てようとする時、頭の片隅を掠める、というか頭の大半を占める危惧心。
それを言語化するとこうなる。


この、いつか必要になるかも、という仮定は、たまに的中する。

例えば単一電池、こんなバカみたいにでかい使い道の少ない物、と思って手放して数ヵ月後、え?これって単一電池4個も使って動いてたのかよ、という機械の電池切れに出くわしたりする。

例えば眼鏡ケースと眼鏡拭き、眼鏡を買う度にたまっていくけど、こんなもの一つずつでいいんだと決心した矢先、ケースが壊れたり、眼鏡拭きがどこかに紛れ込んでどうにも見つからない。

例えば電化製品の説明書、押入れに後生大事にとって置いているが、読み返すわけ無いと思って捨てると、ブレーカーが落ちたきっかけで冷蔵庫が初期設定に戻って、好みの設定方法への戻し方が分からなくなる。

人はバカでは無いから、人生経験からリスクが少ない選択肢を選び取っていく。
結果家は物で溢れるという事になる。

特に中年、老年の世代の方々に、物をとりあえず取っておく、という習慣が染み付いて離せないという御仁が多いようだ。

うちの実家も、たまに顔を出すと、恐ろしいほどの物が、物置と貸した部屋に、床が抜けるぞというほど積み上げられている。

それらひとつひとつを見てみると、確かに、ゴミと呼ぶには貴重すぎる物ばかりだ。

しかしそれらから、この人たちが今から死ぬまでの時間の中で、もう一度本当に必要になった物が引き出されて日の目を浴びることはあるだろうかと考えると、おそらく残念ながら、99.9%そのまま終わるのだろう。

これはあの時買ったやつ、これはあの人に貰ったもの、これは子供が描いた絵、あれはいつか読み返すかもしれない本、あれは修理の時に必要な何かのパーツ、あれはまだ使えるキーボード…

人は物に自分の思いや人生を乗せてしまうと、より捨てることが忍びなくなってくる。
自分が大事にしてきた物が、自分の人生の軌跡を形に換えてこの世に現していると、おおげさに言うとそんな重い思いを、ガラクタ達にぶら下げている。

思い入れのある品に囲まれて幸せに満たされたつつましい余生を、思い出を友に心安らかに送る。

というひとつの理想像もあるだろう。

本当にそんな気持ちで、物に囲まれて生きているのなら言うことは無いが、少なくともうちの親は、どうやらこの溜まり溜まってきた物を、余生幾許も少なくなってきた昨今、いったいどう処分するのかと、心の底ではずっと気になっているようだ。
そして気にはなっているが、どうしようもないと、もう半ば諦めている感も有る。

確かにアルバムを見返して、ああ懐かしいなと、思うことはある。
定期的に見返しているものまで捨ててしまうことは無い。

その人を象徴するような、例えば大工が現役時代ずっと愛用した大工道具を、もう使わないからと捨ててしまうのは、あまりに勿体無い。

しかし、部屋一杯になるまで、そんな物はいらない。
ひとつ、ふたつ、みっつくらいで十分だ。

本当に大事な物を選び抜くというのは、自分という人間を見つめ直すということで、いまや心の片隅でノイズとしてしか機能していない”いつか必要になるかもしれないモノ達”を、徹底的に見返してみることは、自分の人生を見返す良い機会になるのでは無いだろうか。

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