2017年1月14日土曜日

一口だけ食べたい女と悩みを打ち明けない男

シェアする。という言葉がよく聞かれるようになった。
共有する。ではいけないのだろうかと思うが、わざわざ横文字で言いたがる感じは、どこかバカっぽくて眺めている分には私は好きだ。
自分で「シェアする」などとは真顔で書いたり言ったりはできないが。

私は、幸せという感覚は、共感からしか生まれないと信じている。
幸せとは何かというと、すなわち共感なのだ。
美味しいと思ったもの、美しいと思ったもの、すごいと思ったもの、面白いと思ったものを、相手も同じように感じる時、人は幸せを感じるのだ。
それが無ければ、人間が二人以上一緒に集まっただけでは、幸せは生まれない。

では一人きりでは幸せは感じられないのかというと、非常に難しいというだけで、無理では無いと思う。
人間相手との共感、共有感を、もっと広げたら良いのだ。例えば動物とか、植物とか、宇宙だとか、そういったものへの感覚を研ぎ澄ませば、幸福感は見つけられるように思う。

さて私の幸福論はまあ良いとして、シェアする、という行為についてだ。
共有、シェアするという行為は幸せへのアプローチではある。
しかし食べ物のシェアは男女間でしばしば感覚のズレがあるようだ。

私は以前ある女性に外食先で、自分の頼んだメニューなどを相手に分けることに嫌がらない事に対して、男としては珍しいねと指摘されたことがある。
私がこの女性に対して「シェア」することに抵抗が無かったのは、相手になみなみならぬ好意があったからであって、私は本来外食先や家の食事の中で、人と食べ物を交換し合いたいなどとはつゆほども思わない性格だ。
むしろなぜ、相手のものが一口食べたいのか、実のところまったく理解できない。
だったらはじめからそれを頼むなりすれば良いでは無いかと思う。

しかしそれはそういうことでは無いのだろう。
女性は、とひとくくりで全女性を語るのは大雑把すぎるが、女性は比較的、なんでも分かち合おうとする。
食べ物だけに留まらず、噂話があれば誰かに言いたいし、悩みがあれば友達に打ち明けたくなる、そういう生き物のようだ。
男性は、とこれもひとくくりで書くのは雑な論だが、少なくとも私は、噂も悩みも自分の中で消化してしまうたちで、特に悩みなどは、他人に拡散したいという気持ちがまったくわからない。
自分はこんなことで悩んでいる、という情報を拡散させて、それが自分の心の安定に繋がる感覚がわからないのだ。むしろ情けなさが広がる。
だから誰かに悩みを打ち明けて助言や助けを求める、という行為は、自分の中で消化しきれずに万策尽きた最後の手段という感じがする。

だが、これは良し悪しでは無い。
例えば男が女から「一口ちょうだい」と言われて「嫌だ」と答えて、ネットに「男は食べ物に卑しい」と書き込まれたとしたら、それはちょっと違う。
どっちも悪くないと言えば悪く無いし、どっちも悪いと言おうと思えばどっちも悪い。
自分の分は自分の分で満足する男は悪く無いし、相手の物を一口味わってみたい女も悪く無いが、一口分けてと頼まれて拒否する男は卑しいとも言えるし、「一口ちょうだい」と言う女も実に卑しいと言える。
そんなもんだと思う。

ネット上にそういう書き込みを見たので、こう思った。というだけの話であった。

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