2017年2月12日日曜日

物欲の充足はどこまで行っても永遠に幸福感の充足を導かない(最後)

今回のトピックに関しての散文は、この記事が最後なのでもう少しだけおつきあい願いたい。


幸福感の源泉は千差万別では無く唯一無二の”共感”であると主張したが、共感は誰かと共有するものだから、その共感の見つけ方自体は千差万別、つまり私がどんなに頭を悩ましても、貴方どころか自分の幸せの見つけ方すらも知る術は無い。
だからそれは飛び越しておこう。
共感をしうる相手が居るとしておこう。

じゃあそういう相手が居たら、その相手と何がしたいか。
それは一つしか無い。ただただ、より多くの時間を共有し、より多くの共感で人生を彩れば良い。
そのために必要なのは、出来るだけ多くの”時間”だ。
しかしせっかくそんな相手を見つけたとしても、下手に幸せを盤石のものにすべく4000万円もする家をローンで買ってしまったとしたら、どうなるだろうか。
正社員で働く人間の給料を単純に時給換算で割り出すのは難しいが、ここは大雑把に、計算しやすいようにざっくり2000円としておこう。
1時間を2000円で切り売りする人物が居たとしたら、彼が4000万円稼ぐためには、実に2万時間を差し出さなければいけない。
2万時間、大事な相手と共有できる時間を失う事になる。
これは不幸とは言わないが、大きな損失である。

家だけではない、車、服、家具、腕時計、ブランド品、芸術品や嗜好品その他、物欲の対象は無数にある。
その物欲を満たす度に、パートナーと共有すべき時間を差し出して失ってゆく。
幸せに近づいていこうとして、遠ざかってゆく。

古くからの友人に、なんとも物欲から開放された夫婦がいる。
彼らは片田舎に親が残した家に移り住み、実質家賃0になる代わりに超のつくド田舎生活を送っている。
田舎が好きだから移り住んだとか、人間本来の姿を模索するだとか、そういう理由では無く、ひたすら二人の時間を作れる生活を選択したらそうなったそうだ。
会いに行くのも一苦労の場所なので、ここ10年で1度会ったくらいだが。
今はネットがあるので生活の様子などはブログなどで垣間見れるが、山に囲まれた村の中で、軽トラ一台さえ持たずにのんびりやっているようだ。
仕事に出ることは無く、ネットを通じて家でできることで、月々ほんの数万円稼ぎ、あとは畑を耕してみたり山菜を採ってみたり、あれやこれやと何かと楽しんで生きているようだ。
その様子は、まさに二人の”共感”の中の世界であり、夢の中の生活であり、どんなに外から他人が、不便だ苦労だ不安定だ普通じゃない不幸だと決めつけてみても詮の無い、揺るぎない豊かな時間があるように感じた。

方法はなんだって良いのだが、とかく物欲は貴方から時間を奪う。
ゆえに物欲からはできるだけ開放されたほうがよい。
もし貴方が”時間が無い”と感じているのならば、物欲に振り回されて奪われているのかもしれない。
物欲の充足は、幸福感の充足を導かないのだが、この二つは目的意識の中で渾然一体となって人を惑わせる。
例えばある人にとっては”幸せな家庭”が目的だったはずが、いつのまにかその象徴の”家”に固執してしまい、結局物欲の終始で時間を費やしてしまっていたというようなものだ。
大事なのは物では無い。
者なのだ。

お金で買えない価値がある。
マスターカードさんが自ら言っている事実に、嘘偽りは無い。

この言葉のうまいところは”価値”としているところだろう。
そしてちゃんと「お金で買えない価値がある」という言葉の裏には「お金で買える価値もある」という意味が十二分に含まれているところだ。
しかし、この”価値”が示す範囲は、決して”幸福”というような類のものでは無いことは確かだ。
人生に価値を見出したり見出さなかったりすることと、それで人生に満足したりしなかったりするということは、またまったく別次元の問題だということを、混同せずに生きていたい。

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