2017年2月22日水曜日

父親の終活の苦悩の中に見た物質への依存

父親が死に準備(終活というらしい)に気を滅入らせている。
その父親が言うことで、一つどうにも同意できないところがあるのだが、彼の気持ち的には、遺留品となるものの中で、自分の中で影響の大きかった思い出の品々、人生の友達からもらった宝物、好きで集めた絵画などが、自分が死んだ後ゴミとして処分されるのが、どうにも寂しいそうだ。
しかし、形見となるものなんて、品物ひとつふたつで十分だ。
父親の思い出の品や宝物を、全部残らず神棚の横に積み上げておくのは不可能だし無意味である。

人というのは、想像以上に、物質として残る品に対して、自分の人生の記録を託しているところがあるようだ。
確かに折に触れて、思い出の品が記憶を呼び覚ます装置となって、あの時こんなことをして、こんな気持ちだった、そういう美しいものがその品を通してありありと蘇るといった大事な役割を果たす時がある。
だから少しでも思い出を含む品物は手放し難い。値段では算出できない価値がある。

だが、それが大事すぎて、自分の人生の記録がそこにしか残っていないというくらいまで考えすぎていないだろうかと、父親の思い詰め方には心配になる。
あなたの記した足跡は、もう十分すぎるほど関係者の胸の中で深く刻まれているから、そんな事に気を揉むことは無いと解ってもらいたいのだが。

長くなりそうなので、明日に続かせていただく。

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