新聞配達の部分に反応してついつい定食屋で食べ終わった後も席に陣取ってじっくり見てしまった。
有吉なにがしという番組で、人生の底辺組が逆転に挑戦するというような趣旨だった。
すごいものだなと思う。
人は良くも悪くも自分の想像した通りに生きていくんだなと感じる。
同じ新聞配達という職業に就いていても、今からいかに働かずに生きて行くかをあれこれ考えている私とは、まったく真逆に進んで行く熱いエネルギーに満ちている。
参照:10年続けた仕事、そろそろここらで辞めてみようと思います。
だが、決して私も人生の底辺に真っ逆さま落ちて行こうと思っているわけでは無い。
むしろ志としては逆転を狙うくらいの希望とやる気でわくわくしている。
起こす行動のベクトルが真逆ではあるが。
就職しない。
雇われない。
かといって起業するというほどでも無い。
職業というもので自分のキャラクターが定まっていない、認知されていない、そういうあやふやな存在なのに、なぜか自信が揺らがず、楽しそうに生き生きと生き永らえていて、別段お金に困ってもいない。
賢治風に言うならば、そういうものに、私はなりたい。
それが今の私が抱く、未来の理想の自分像である。
物欲が少ないので向いている性格だと思う。
想像はできる、構想も立てられる、やっぱりうまく行きませんでしたでは恥ずかしいのであまり見得を切りたくは無いが、ともかく道は見えるのでそちらの方向に歩んで行くことは可能である。
ミニマリストは、お金を無闇に使わない類の人種であるから、職業の選択肢が増える。
1Kの部屋にちゃぶ台一つ置いて生きているミニマリストが居たとして、その生活を支えるのに何も毎日仕事で残業に精を出す必要は無い。
職業がライフスタイルを大きく左右する。
自分の理想のライフスタイルをおくるために、どういう職業に就くべきなのか?
ミニマリストは、その職業の取捨選択を、たぶんミニマリストじゃない人よりも自由に行えるはずなのだ。
ミニマリストとして生きる、そういうライフスタイルに合う職業として思いつくものに、ノートパソコンひとつあれば生きていける職業が例えばひとつ挙げられる。
スーツもネクタイも革靴もいらなければ、会社近くの住居に縛られたり、車が無いと困るということが無い職業である。
私は今、そういう職業の中で生きていってみようと思っている。
そういう、職業とも言えないような職業で生きて行くためには、生活コストを下げることが最短距離であると思う。
私には、文章ひとつネットに落とすだけで何万円と生み出す才能は無い。
しかし、それでもそういう職業に就いてはいけないわけではないし、それで食っていけないと決まったわけではない。
数万円しか稼げないなら、数万円で生きていけば良いだけである。
それを可能にするのは、ミニマリストとしての資質、無駄を極限まで省く能力だ。
私はことそのへんに関しては、自信がある。
だから才能など無くても平気でいられるのだ。
物を買わない、物を置かない、そういう日常の中での選択肢を少なくすることによって、逆に人生において多くの選択肢を得ていると言える。
なんだか貧乏臭い、ミニマリストなんて言うけど、買わないんじゃなくて買えないだけなんじゃない?持ちたいけど持てないだけなんじゃない?というのは大きな誤解である。
「買いたいと思わない」「持ちたいと思わない」という感覚は、手に入れるために必要なあれやこれやから解放してくれる。
それの際たるものが、金稼ぎだ。
仕事から、職業から、だんだん解放される。
他にも、ショッピングに必要な時間や思考、これらからも解放される。
あれが欲しいこれが欲しい、あっちのほうがいいかもこっちのほうがいいかも、そういうことに費やす時間と思考から解放されると、もっと自分というものによりフォーカスした時間と思考の使い方ができる。
選択肢が無いわけじゃなく、逆に選択肢を得るための行動なのだ。
私は職業を捨てることで、より自分の望む職を追求できる。
それは人からは、職業とさえ認められないようなものかもしれない。
生活とさえ認められないようなライフスタイルかもしれない。
今はまだ何も始まっていない段なので、漠然とした想像上の話だけで申し訳ないが、これから徐々にこのブログで、実体験を通して被験者のような気分で生活を記し、雇用されて働かないことによって起こる具体的な展開(何も展開しない展開も展開に含むとして)と、生活を維持していくための活動など諸々を読者の方々に読んでもらえたらなあと思っている。
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