2017年1月1日日曜日

職場に昔居た、愚痴ることしか覚えられなかった大人

愚痴っぽい人というのはやっかいである。
仕事場であろうと家庭内であろうと、愚痴っぽい人と付き合うというのは非常にストレスがかかる。
なぜいちいち口に出して文句を付けて、それを近くに居る人間に伝えないと心が済まないのか。
全ては自分で選んだ事であろうと思うのだが。

私の職場に今はもう辞めてしまったが、とんでもない愚痴り性の男が居た。
愚痴がすぎてあれはもう、いつでも癇癪の発作を起こしているような、そんな感じだった。

仕事というのは自分から熱望した契約から始まっている。
頼まれもしないのに自ら、やる気あります熱意あります是非是非是非御社に!と詰め掛けた結果の産物だ。
恋愛や結婚もそうだ。
何事も始まりは全て、自分が勝手にやりたいと言い出した事なのだ。

親や親族は選べないし、自分の肉体も選ぶことはできなかったわけだから、そこには不条理が存在する。
しかし不思議な事に、愚痴っぽい人間というのは、本当の不条理には愚痴らない。
なんでオレはクリスティアーノ・ロナウドとして生まれて来れなかったのかと大きな声で独り言を言ったりはしない。
そういう事を言いたいのでは無いのだろう。

では何を言いたいのか。
口に出して、言葉にして相手に聞こえるように伝えるということは、そこには意識的、無意識的な意図が存在する。

その意図とはつまり、癒しを求めているという、そういうことなのだろう。

愚痴っぽい人というのは、自浄する術を持たない人だ。
それはつまり、褒められずに生きてきた人という事だ。

マイナスの言葉を発すると、周囲はとっさの反応として、プラスの言葉で帳尻を合わせようとする。
大変ですね、ご苦労様ですね、お疲れ様ですね、面倒かけますね、有り難いですよと。
人は自浄のキャパシティを越えた分量だけ、それがネガティブ発言に変換されてこぼれてくる。自分が辛い状況にある事をひとつひとつ説明し始めるのだ。
そうすれば、周囲はプラスの言葉で掬い上げてくれる。

愚痴っぽい人、というのは、この自浄のキャパシティが非常に小さい人、と言い換えることができる。
どんな些細な厄事でも、自浄できない人は、すぐに言葉にして、今自分を襲った厄事を周囲に説明し、自分では癒しきれないので、周囲に癒してもらおうという反射行動を起こす。
それが愚痴というものの本性だ。

自信、というものを構築する上で必要な要素は多様に求められるだろうが、そういうものが心の中に少しずつ蓄えられていて、それによって多少の傷を負っても自分で癒すことができる人は、痛みをわざわざ他人に説明する必要が無い。
しかしそういう傷を癒す上での気付け薬となるような、自身の中に心が癒えていく根拠が無い人は、他人に癒してもらうしか無い。

もうらうしか無いが、これをあまりに過度に続けていくと、他人の失望を買う。
当たり前のことではあるが、自分がいかに辛いかを説明されても、それは言われている側からすれば、あんたは楽で良いなと言われているようなものだからだ。
そうしていつしか誰も自分を癒さなくなり、また周囲に愚痴を無視されながら、自分が何故ネガティブな言葉を周囲に吐き散らかしているのかも、もはや分からなくなりながらも、被害妄想は強まる一方で、それがそのままその人の一部となって、どうしようもない人生の袋小路へと、自分で自分を追い込んでいくことになる。

かといって他人に一切弱音を吐かない人間というのも、どこかとっつきにくい、壁のある人と思われがちではある。
他人に癒しを求めるのは、必要最小限、しかし0では無いというのが、最も理想的なのであろう。
この分量を間違えると、必ずどこかの時点で相手を失い、結果自分を殺すことになる。

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