2017年4月18日火曜日

「生活レベルを下げる」なんてやってはイケナイ

「生活のレベルを下げる」という言葉はどうも私が言いたい事とは言葉のイメージがずれているように感じた。
まるで人生のステージをワンランク下げて甘んじているというようなイメージがなんとなくある。
私はたまに、お金を貯めたければ生活レベルを落とすべきだとか、お金から自由になるために生活レベル落とすと良い、などと論ずることがあるが、なんとなしに使ってきたこの「生活レベルを落とす」という言葉は、どうも私が言いたい感じよりも少し多めにマイナスイメージが先行しているのでは無いかと思ったのだ。

生活レベルを落とすというと具体的に言うならば、例えばスマホのネット契約料をカットするなど考えられる。
いわば今より少し不便に甘んじて、お金を浮かす、ということであるが「お金のために苦労する」と考えると、これは仕事の延長線上にあるような我慢だと感じてしまう。
私は、仕事のように、やりたくなくてもせっせとこなすことによってより多く金を得る、貯蓄を増やす、なんて行為を推奨したくない。
それこそ生活レベルが落ちている。

そうではなく、例えばそのスマホの月々の支払いが3000円ほど浮くのであれば”月々3000円分金稼ぎから自由になれる”ということが言いたいのだ。
これはなんというか、すり替えというか、言い方が違うだけで結局同じことじゃない?と思われるかもしれない。
しかしである。

優雅に生きたい、しがらみを少なく生きたい、好きなように生きたい、自由に生きたい、などと思ったら、金稼ぎから自由になることが先決である。
大金持ちなら色々飛び越えて金からは自由でいられるだろうが、一般人にとって、金から自由になるとはどういうことかと考えた時に、それはより多くの金額を稼ぎ出す、ということではなく、より少ない維持費で生きていく、ということなのでは無いかと思うのだ。
極端に言うならば、一家で月6万円で生きていける、という人ならば、別にあくせく働かなくても大丈夫、会社にしがみつかなくても大丈夫、上司に不条理な怒られ方をしても、別にこの会社が倒産しても困らないよと思えるし、客に嫌味を言われても、別にあんたに媚びへつらわなくても生きていけるんだよと思える。
極端ではあるが、要は心の枷を一つ一つ外していけるというイメージである。

漠然と不安という感情、分からない未来を思い煩う気持ちというのは、それ自体が心の枷であるのと同時に、そこから派生していろんな場面で心に枷をはめてくる。
その感情は、結局”金”を中心に不安の根が方々に伸びているように感じる。

病気や事故、災害や失業、その他色々な不安という感情は、それ自体が不安の種というよりも、”そうなった時にお金が足りないかもしれない”という種から出たものである。
こういった不安は、完全に取り去ることはできないのに、そういったことからわりと心自由に振る舞える人というのは存在する。
そういう人というのは、お金がたくさんあるから安心していられるのかというと、きっとそうでは無い。
そういう人は、お金の有る無しに関わらず、お金から解放されるよう勤めているのだと思われる。

その結果たまたま生活レベルを下げる、というような行為を行なったとしても、それが本当の意味で自分の人生のステージを下げることには、繋がらない。
むしろそれは上がっていると私は思う。

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