2017年3月16日木曜日

有るよりかは無いほうが良い。という時代が来ていると思う。

無いよりかは有ったほうが良いだろう、という心理に陥りがちだと思う。
それは雑多に物を集めてしまう人というのもそうなのだが、これを思ったきっかけは服の柄だ。
街でふと見かける。
今回の場合は女性であった。若い女性だ。
失礼にならない言い方が難しいが、とにかくちょっと綺麗とか可愛いとか表現される女性とは違うサイドにおられる御仁だった。
着ている服にふと目をやると、なんとも言えないキャラクターの柄の入った、なんとも言えない服だった。
これは、モデルの問題では無い。
どんな服でも外人モデルが着れば様になると言っても、限界はある。
どうしてこう、妙ちくりんなキャラが描かれた、妙ちくりんな服を、無数あるファッションの中から選び出し、掴み取ってしまうのかと、そんなことを割と真剣に考えさせられてしまった。

出てきた結論としては、無いよりかは有ったほうが良い、という価値観があるのだろうという推測だった。
つまり、キャラが描かれている服と、無地の服では、とりあえず何か描かれているほうが、1点でもプラスなんじゃないかという、判断。
同じ素材の同じスタイルの同じ値段の黒い服があったとして、無地の黒い服の横に、同じ黒い服なのだが、何の脈絡もなくイルカの刺繍がされていたとして、どっちかを選べと言われたら私なら絶対に無地なのだが、でも絶対にイルカを取る御仁もいるわけだ。
特別にイルカに愛着があるという御仁は例外として除外しよう。
しかし、特別にイルカに対して愛情がない御仁でも、服の中でイルカが泳いでいる意味が分からなくても、やっぱり無地よりかはこっちを選んでしまうという思考は、必ず一定数存在すると思う。

ディズニーのキャラクターとかもそうだろう。
ミッキーが柄に入っていたら、入っていないよりかは何かしらプラス点が加算されるのじゃないかという漠然とした期待があるんじゃないか。
ディズニーやそういうアニメの世界観が好きで好きでたまらないから選ぶ、というのはまったく違う話になってくるので、イルカ狂の御仁と同じく除外させていただく。
そうじゃなくて、何かかわいいキャラクターとか、かわいい柄とか、なんかかっこいい文字とか、別に思想になくても宗教的なモチーフがクールに見えたりとか、淡路島に住んでいるのにサンフランシスコと書かれた帽子が被りたいとか、何かこう、そこに何かが描かれていれば、それが1点でもイメージアップに繋がるんじゃないかという期待を感じるのだ。

しかしこれは、逆効果だ。
本当に愛して愛してやまないのならば「I LOVE NY」とTシャツで主張するのもアリだろう。
でも愛してないのなら、もうなにもかも全てがちぐはぐだ。
熊のプーさんがかわいいからと言って、熊のプーさんが描かれたパーカーを羽織っていれば、熊のプーさんみたいに愛されるという結果には絶対に結びつかない。
いや、極小の可能性でもちろん、熊のプーさんに並々ならぬ愛情を注ぐ御仁どうしが出会って、あ、それいいね、最高だね、となる可能性はもちろんあるが、それよりももっともっと大きい可能性のほうを優先させたほうが有利だと思う。

こだわりも無く無闇に要素を増やしても、ちぐはぐになるばかりだ。
だから柄やイラスト、キャラや文字など、服に取り入れるのは、リスクばかりでリターンが少ない。
我々一般人は、シンプルを押さえておけば、それで良いと思うのだ。

と、その女性に説くのは、最高におせっかいな変人でしか無いのでやめておいて、せめてここに書いて発散させておく。

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