私の父親は、納豆が嫌いな人だ。
それは全然、まったく良いのだが、それを子供の私にものすごく大げさに、いかに納豆が臭くて気持ち悪い食べ物かを伝えていた。
悪意は全然無いのだが、こういう行為は、百害あって一利なしという類のものと言える。
現に私は大人になってかなり後になってようやく、あの父親が嫌っていた納豆というものを、一度食べてみようかと試みてみて、案外、全然いけるじゃないかとその時初めて気づいたくらいだ。
子供というのは、親の言うことをまあ純粋に吸収するものだ。
その健気さは、時々切なくなるほどである。
どんな親であっても子供にとってはそれが全てなのだが、親といっても不完全な魂をひきずって、未だ迷いの只中でうろうろしている、体が大きいだけのちっぽけな人であるから、なかなか子育てというのも難しいものだろうと思う。
自分の普段のなんの気無しに撒き散らす言葉ひとつひとつが、どれほど子供の心に大きな影響を及ぼしているかに、深く気をつけながら言葉を選ぶなんていうことも、できることではない。
そもそも言葉を選んでいる時点で、人格の成熟が追いついていないのだから仕方ない。
子供をのびのびと育てるためには、自分が偉人であったり賢者であったりする必要はないだろうが、少なくとも、可能性の芽を摘むようなことは、できるだけ無くしたい。
自分が親となれたならば、不完全な自分と向き合い苦悩しながらも、そこだけは大事にしたいと思う。
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