ふと節約本を立ち読みをしてつっこみたくなってしまったのは、1日分の予算として2千円を、ファイルに綴じていくというものがあったのだが、そこまでしないと使ってしまうものかと不思議に思う。
クリアファイル家計簿と言うらしい。
”家計簿をつけようとして挫折して、無駄になった家計簿がもったいないですね。”なんて謳い文句に誘われ、新しいメソッド本とクリアファイルを購入するという入り口から首を捻りたくなる。
クレジットカードに対応していないメソッドなので、大量の千円札と小銭のやり取りがいかにも煩雑で、旅行した月や外食の続いた週はどう対応するのだろうとも疑問だし、ここまでしないと収入と支出を勘定できない人が、毎日忘れずに2千円を出し入れして、カードなどの支出を別に管理しつつ、使いすぎた日の帳尻を別の日で合わせつつ、月末にファイルに貯まった小銭を口座に入れに通い、また月が変われば大量の千円札を用意して、1万円の服を買った日はどこから出すか、旦那が飲んで帰ってきた日はどう計算するか、子供が病気になったり、友達が結婚した。あらゆる例外的支出を1日2000円という現金との足し算引き算で対応し、貯金を貯めていくという想像がつかない。
そんな難しい事をしなくてもお金は貯まると思うのだ。
旦那さんなりご自身なりが稼いでくる額から貯金したい額を引いた金額で、一月を生きればいいだけのことだろう。
それが10万円だったら10万円での生活があるだろうし、15万でも20万でも、そこには15万なら15万なりの、20万なら20万なりの生活があるだけの話で、何も変わりは無いし、使える金額が違うだけでたぶんそこには、苦しさや面倒さ、幸福度や満足度にほとんどの変わりは無いと思う。
何故使える額が違うのに感覚に違いが無いと言えるのかと言うと、そこにはまず条件として”仕方なく我慢する”という感覚を捨てる事が必要になってくるのだが、使える額を決めてしまえば、それを越えるという発想を始めから無くしてしまえば良いのである。
この感覚は交通ルールなどにも置き換えて考えられるのだが、一時停止線の煩わしさというのは”絶対に止まらないといけない”という感覚で運転をした時から、ゼロになると言える。
きっぱりと諦めると言おうか。
ちょっとぐらいの誤差は良い、うまく行けば全然止まらなくても大丈夫、バレなければ、急いでいる時は、意味が無い状況で停まっても仕方ない、危なくなければ、大丈夫、かもしれない、というような諸々の希望的感覚を捨てきれないうちは、一時停止線は恐ろしくうっとうしい存在である。
そんな感覚で居るうちは、律儀に停まったら、損をしたような気分にさえなってくる。
越えてはいけないものは絶対越えてはいけない。
それは強い意思で我慢してそうするのではなく、諦めるべきだ。
それ以外に方法は無いと思っているのが楽なのだ。
ちょっとぐらい大丈夫かもしれない、むしろここは越えたほうがいいかもしれない、という横着な希望は、逆に人を苦しめる。悩ませる。
そういうものを捨てれば良い。ずっと楽になれる。というのが、節約でも言える。
そういう心が無くても、苦労して節約をすることや、どこか劣等感を抱きながら貯金を増やすことはもちろんできる。
冒頭のメソッドももちろん使える。
しかしそういう心が在れば、苦もなく節約も貯金も思いのままに成る。
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