有名なジョークに、漁師と億万長者の話がある。
聞いたことがある人も多いであろう。
ある田舎町、海岸にボートがある。
見ると漁師が網で魚をとってきた所だった。
活きの良い美しい魚を見て旅の男が声をかけた。
「素晴らしい魚だね。どれくらい漁をしていたんだい?」
漁師は「そんなに長い時間じゃないよ。」と答えた。
旅の男は 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れるだろうに、惜しいことをする。」
と言ったが、漁師は、家族が食べていくにはこれで十分だと言った。
「じゃあ余った時間をどう使うんだ?」と旅の男が聞くと、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子ども達と遊んで、妻とシエスタして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて歌でも歌っていたら一日は終わるよ。」
すると男は真剣な顔つきでアドバイスを始めた。
「いいかい、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間としてアドバイスしよう。こんなに素晴らしい魚がこの近海で獲れるなら、貴方はもっと長い時間、必死に漁をするべきだ。獲れるだけ獲って、余った魚は売る。お金を貯めてもっと大きな漁船を買うんだ。そうするとさらに効率は上がり、同じ時間で漁獲高は上がり、儲けも跳ね上がる。その儲けで漁船をどんどん増やしていき、水産品加工工場を建て、このちっぽけな村を出て、大都会のオフィスビルから指揮をとるんだ。」
漁師は不思議そうに尋ねる。
「それでどうする?」
「その後は株を売却して、億万長者になるんだよ!」
「その後は?」
ここまで大きな夢を語ってもなんら反応を示さない漁師に旅の男は焦れったくなり、さらに熱く夢を語った。
「そうしたら引退して、美しい海の近くの小さな村に移り住んで、日が高くなるまで寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌を歌って過ごすんだ。素晴らしいじゃないか?!」
さてこの話を読んで、どういう感想をお持ちになるだろうか?
この貧しい漁師の生活と、億万長者に上り詰めた後にある悠々自適の生活の間にある違いは一点だけである。
余るほどの大金が、有るか無いかだ。
この漁師は、この話のニュアンスから伺うに、大金を手にしていないことへの、不安や不満は一切無さそうである。
妻と子供と友人に恵まれ、必要な物を全て手に入れて、満足感の中で生きているように見える。
それは、大金や成功を具体的に目の前にちらつかせられても、ちっとも揺るがない態度から見てとれる。
漁師は「それがどうしたんだ?」と心底不思議そうである。
そういう場合、もうこの漁師は、どんなに側から見て貧乏だとか不安定だとか感じたとしても、完全無欠の夢の生活の中で生きる人だと断言して間違いない。
もしこの漁師が、もう少し違うニュアンスで受け答えしていれば、また違った感じ方もできる。
例えば旅人にもっと成功してもっと大金を手に入れられるよとアドバイスされた時に
「そうは言っても、そうなりたいのは山々だが、自分にはそんなことはできないよ。今の生活がお似合いだ。」
などと答えていたのだとしたら、この生活は、夢の生活ではなく、ただの貧乏生活でしか無くなってしまう。
大事なのは、本人がどういう気持ちで生きているかだけである。
お金が無ければ、いざという時危ない、将来が不安だ。子供の教育は大丈夫なのか?世間から尊敬されない、妻の不信を買う、そんなふうに感じながら生きているとしたら、有り余る時間と自由があったとしても、その中に、幸福感が入り込む隙は無いだろう。
今の生活が本意なのか、不本意なのか?
不本意だからこそ人は夢を追う。
夢を追わない人には二種類の人がいる。絶望している人と、夢を手に入れた人である。
夢とは、別に億万長者やスーパースターになることとは限らない。
一言で”夢”というものを言い表すなら、”自分の思うように生きる”ということである。
別に”思った通りの人生”でなくとも良い。
その時その時で”思うように”生きれば良いのだ。
つまり、”自由に生きる”ということだ。
自由の手に入れ方は様々である。
大金によって自由を感じられる人も居る。
しかし大金が必ず自由を与えてくれるとは限らないということは前回も書いた通りである。
そこでこの記事のタイトルについて私の結論を言うならば、自由さえ掴めたならば、大金は必要無い。
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