この生活は、たぶん結婚しても持続可能である手応えがある。
毎月たかだか5万円やそこら稼いでいるだけでなぜ悠々と安心して生きていられるかというと、それは決して、ものすごく低い水準の生活の中で、節約に節約を重ねて生きているからでは無い。
最も大きな理由は、私が家を買わなかったことと、車を持たなかったことにあるように思う。
狙ってそうしたわけではないが、今思うと、自分が人生の岐路において自由な選択肢からとる道を選べた要因は、そうだったということだ。
もしも家賃が必要な家しか周りに無かったり、持ち家や車を購入して向こう何十年とローン計画がびっちり埋まってしまっていたら、人生に新しい選択肢など初めから浮かび上がっては来なかった。
一般的に言って、家と車が人生の目標、指標の大きな柱となっている場合が多い。
より良い家に住む事、より良い車に乗ることが、まるでより良い人生を実現する手段であるかのように感じがちである。
しかし、お金が余って仕方がない人以外にとって、家は人生の鎖、車は生活の重りであると、私は考えている。
住居に家賃やローンを支払うことは、あなたという人間を、ある一定の範囲内に収まる”社会人”(この言葉は意味がよくわからないが)という存在に繫ぎ止める、太い太い鎖である。
社会人は立派だというのは妄想だし、無職やフリーターが落伍者であるというのも妄想である。
社会人は、この社会を急速に発展させるのにすごく役に立つ存在である、という意味では立派だ、という程度のものである。
社会に積極的に参加しているかそうでないかは本当はどうでも良い。
自分の人生がうまくいっているかいないかなどは、自分の人生を自分の裁量で組み立てて運用できているかいないかで判断すれば良い。
また、ミニマリストと呼ばれるような人々が、人生を身軽にして、本当に自分が大事にしたいものを、大事にできる自由を獲得できるようにするために必要なモノとは、十分な金や収入源、ではない。
金がないと自由は無い、全ては金を手にしてからだ。
その感覚は、人生をどんどんがんじがらめにしていく。
多くのものを得ようとするから煮詰まってきた人生であったはずなのだ。
断捨離とはそういうことを言っているのだろう。
お金は、自由を獲得できる手段のように見えて、実は人を身動きできなくする鎖であり、さらにその人を操る糸でもある。
できるだけ多くのお金を獲得すれば、それだけ多くの自由を獲得できるという錯覚で、人に人生を社会に捧げさせることを簡単に厭わさせなくする。
無駄なものを買わない。
くだらないモノを排して自分の人生の本当のクオリティについて考える。
それがミニマリストならば、あの棚がいらないかもしれない、この服がいらないかもしれないということを考える以前に、もっと根源的なものを、捨てると良いのかもしれない。
無駄な金を使わない。
無駄な金を稼がない。
金への執着を捨てる。
金を断捨離すれば、そこには驚くほどの自由がある。
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