ゆえに男のミニマリストの部屋というのは、独房のようになっていく。
部屋が独房のようか、そうでないかというのは、まったく大事な事では無い。
ミニマリストだとか、そうでないかというのも、全然どうでも良いことだ。
私が自分の部屋に、こうありたいと思う望みといえば、自分の生き様が出ているかどうかである。
その人の生き様が出ているなら、その部屋はどんなスタイルだろうが、どんな物が置かれている、調度品のセンスがどうだ色の使い方がどうだと、そんな事はどうだってよろしい。
逆に一般に憧れられるような部屋を形だけ作ったとして、そこにその主人が溶け込んでいなければ、それは何の意味も持たないただのおしゃれな箱でしかない。
おしゃれボックスとでも呼べばよい。
例えばしがない独り者のだらしないサラリーマンは、汚い飲み屋で一杯ひっかけて、危なっかしい足取りで二階建ての木造アパートに帰ってきて、小汚い部屋で、ださいちゃぶ台を前に、またワンカップの封を切り、スポーツニュースを見ながらひいきのチームが勝ったの負けたの我が事のように一喜一憂しているのが、やはりその者のあるべき姿というものである。
そういう者が住む部屋というのは、おのずとそういう部屋になるし、それはそれでもう完成されていると言って良く、そういう人間と一緒に過ごしたいかと言われたらまた別問題だが、そういう確立されたひとつの様式美が、見る者に決して悪い気は起こさせないので無いか。
成金なら成金らしく、突き抜けて成金らしい部屋に住み、成金らしいことを言い、着て、食べておれば、なぜか、それはもう文句の付けようの無いひとつの世界がある。
そういうものが自分なりに確立されているなら、それはそれでそれがどんなものであろうが、自信を持って自分はこういう者であると、思っておれば良いのだと思う。
以上が、独房のような部屋に住む者からの、自己正当化の論である。
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