私ももちろん、元少年Aが手記を出版すると聞いた当時、反吐が出ると思った。
見向きもせずに忘れ去っていたが、2年も経った今、なぜ今頃?というと、図書館で見かけてしまったからだ。
”こんな本”図書館にあるのか?!
驚きであった。
借りるほどでは無かったのでその場で斜め読みしてみた。
最後まで読んだ感想としては…
凄まじいナルシズムとしか言いようがない。
読んで無いという人がこの記事を見て、無駄に興味をそそってしまったら申し訳ないが、とにかくこの男、まったく反省していない。
私は仕事柄、交通死亡事故を起こしてしまった加害者の方の手記などを読む機会がよくあった。
悲惨な事故を起こしてしまってからでは遅いと、肝に銘じるために、運転に携わる人間はこういう文章を会社から研修の名目で読まされるわけだが、そういう文章を読んだ時は決まって、一文字一文字から滲み出て来るような、自分のミスや不注意で被害者の大切な命を奪ってしまった、どうしようもない思い、後悔や懺悔という言葉では到底表せない、悲痛極まりない思いが、読んでいて苦しくなった。
しかしこの『絶歌』の文章は、終始、一貫して、得意げなのだ。
なんだこの得意げな文章は?
読んでいて、書き手の後悔や自責の念にこちらまで胸を鷲掴みにされるような苦しい気持ちに、一切ならない。
二部形式になっているが、第二部以降はずっと、元少年Aが社会に出てから経験した、アルバイトや就職をする上での、社会人なら誰もが体験するであろう、ごくありふれた苦労話がだらだらと100ページ以上綴られてあったりする。
子供は責任を取る能力が無いから取らなくて良い、とはこういうことであろうか。
責任そのままの重さでこの少年に与えては、壊れてしまうから、徹底して責任から、自分がやったことの重大さから、隔離して”更生”させる。
第一部で綴られた少年院での、その徹底された”責任からの隔離”の様子を伺えたのは、微小な勉強にはなったところがある。
少年Aの管理に当たった大人たちは、平たく言うと、際限無く優しい。
おそらく、何をやっても絶対に受け止めてくれる出来の良い”親”の代わりをする、というのが職務なのであろう。
厳しい現実から少年を完璧に一旦隔離して、リセットする、という感じでもある。
そういう意味では、この少年Aの更生の職務に当たった担当者たちは、すさまじい敏腕を振るって少年Aを作り変え、”社会人A”を作り出したと言える。
だから、元少年Aが罪の意識を持っていない(罪の意識とはどういうものかを捉えられていない)と断言できるが、かといって、この元少年Aが再犯するか?との問いには、それは無いだろうとも思う。
そういう意味では無害な人間に作り変えられてあるのは、ひしひしと感じたところである。
しかしその副作用とでも言うべきか、”更生”したと認定された社会人Aー元少年Aからは、罪悪感、責任感、現実感などがまったく消え去っている。
謝罪や後悔の概念を持つ単語をいくら元少年Aが並べ立てても、そこに重みは一切伴わず、贖罪という感覚や、犯した罪を受け止めるという感覚を、本人はまったく勘違いしたまま薄いところで、現実感の伴わないところで捉えてしまって、これが罪を背負うということかと納得してしまっている。
文章力は十分、標準以上にあるようだから、表現のし損ないによる読者側の受け取り損ないではありえない。
元少年Aの文章があのままの軽さであるということは、元少年Aの心理はそのままの軽さであるという以外、読み取りようが無い。
読む前は”胸糞悪い”という思いであったが読んだ後は…
”呆気にとられる”という感じであろうか。
一周回って呆れるしか無い。
4時間の長編の、中身の無い映画を、最初から最後まで見てしまった時のような、脱力感だけが残った。
私が被害者家族なら、この本は耐えられない。
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