この世代の父親というのは、別段頑固オヤジだとか関白亭主でなくとも、家の中でほとんど何もしない人が多いように思う。
ちょっと冷蔵庫からお茶を取るにしても、すぐそこにある醤油を取るにしても、全て
「お茶」
とか
「醤油」
とか言って奥さんに取ってもらう。
鰹節がどこにしまってあるか知らないし、七味がどの段にあるかも知らない。
ちょっと部屋を片付けてみるだとか、ちょっと洗濯物を取り込んでみるだとか、そういう姿を見たことが無い。
ある程度やらないと、もう家のことが把握できないので、むしろ足手まといになるから手伝わないほうがマシということになってくる。
こういう人が仕事を引退したら、自分をまっすぐ立たせていた背骨が抜けたかのように、ふにゃふにゃとへたり込んでしまうケースが多いのだろう。
うちの父親がそうだった。
別に仕事人間だったわけではない。
むしろ仕事から帰ってきてからにこそ生き甲斐を感じていた人であったのだが、それでも、仕事を辞めたとたん、家の中で自分のできることが一切無い状態で、自分をシャンとさせる人生の張りの要素が見つけられずに、一気に鬱のようになってしまって、病気でも無いのに体が動かず、起き上がれない、眠れない、出歩けないという状態になってしまった。
長い時間をかけて少しずつ気分は落ち着きを取り戻してきているが、不思議なもので、何もしていないのに体はだるく、重く、何もできないほどの疲労感の中で、余計に生き甲斐を見つけられずに苦しんでいた時期が長かったようだ。
さらに不思議なことに、そんな時期でも、自分の趣味ができている時間は、ピンと立ち、シャキシャキと動き、よく眠ることができた。
例えば旅行とか、釣りとか、そういうことをしている時間は元気そのものだった。
しかし老後という長い時間を、ずっと旅して釣りして過ごすわけにはいかない。
いかに悠々自適といえど、そんなことに費やせる時間は、全体の10分の1程度。
残りの時間はずっと、家に居なくてはならない。
つまり人は、老後を憂いるならば、せっせとお金を貯めるよりもなによりも、まず、家の中で生き生きと生きられるかどうかということについて、心の準備をしておくべきだと思うのだ。
家の中に自分の役割があるかどうか。
ただリモコンを握って、ソファーに座り込んで、ずっとチャンネルを回していることしか家の中に自分のロールが無いとしたら、老後には大いなる苦悩が待っているかもしれない。
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