歳を重ねたといってもまだ30代ぎりぎり前半といったところだが、それでも二十歳そこそこの頃に考えていたような事、その頃の価値観を、今もう一度持つようなマネはできないなぁと思う。
あの頃はそれなりに出世欲とでも言おうか、何か他人をあっと言わせたい、賞賛や尊敬や憧憬を集めたい、そういう気持ちに突き動かされるように進んでみたり迷い込んでみたりと日々悶々としていたように思う。
しかしなんというかある程度やりたいようにやってみて、それなりに望んだ位置に収まっていって、落ち着くというか、諦めでは無いが足るを知るとでも言おうか、そういう気分でまったりと、あまり代わり映えの無い日々にも焦燥を覚えたりしないようになってきたように感じる。
そんな中、最近の私は仕事を辞めて時間があるし、しかも家には元から置かれてあったテレビがあるものだから、それをたまにつけて見てみたりするのだが、そうすると特に感じることとして、今このテレビの中に写っている人たちは皆、ものすごい熱量を日々燃焼させて生きている野心高い人たちだなぁということが一つある。
若い御仁は当たり前だが、30、40と歳を重ねても、もっともっとと上を求めてやまない火種が、ずっと燃え尽きずにあることに、同じ人間であることさえ不思議なほどの価値観の相違を感じる。
この人たちは満たされていないんじゃないだろうかと要らぬ心配までしてしまう始末である。
特に女性のタレントさんで、結婚を経て、出産までして、旦那は大活躍で億万長者のスターだと、なんの不便もなければ不安も無いはずなのに、離婚したわけでも無いのに早々と芸能界に復帰してテレビの露出がまた増えている、というような御仁を見ると、この人は家庭の中で旦那と子供から無限に溢れるような幸せを受け取っていないのであろうかと思わされる。
若い頃のギラギラとした承認欲求というものは、何から発生するかというと”乾き”からだと思う。
未だ満ち足りた感覚を経験したことがないという、無闇やたらと心を悶々とさせる焦燥、ここに止まってなどいられないと駆り立てられるような衝動。
だからこそ、多少のリスクを冒してでも、少しでも出る杭でありたいと願うものであると思うのだが、こんなテレビの中で華やかな成功を飾って一時代を築いた後に、落ち着いて家庭を築き、地盤を固めるだけ固めることに成功してなお、「もう一度あの場所へ」と駆り立てられる熱はいったいどこから湧いてくるのか。
私ならもう十分だと思って引っ込みたい。
テレビの中で活動するなど、劇的な収穫の裏はリスクでいっぱいのはず。
視聴者に好き勝手言われ、新聞雑誌で好き勝手書かれ、ネットで好き勝手論じられ、プライベートまで売ってしまいかねない裸で挑むような商売である。
庶民が一生に味わう成功の何百倍の味を味わったはずなのに、そんな過酷な場所へ、もう一度戻りたいと願う裏にはやはり、”乾き”しか感じないのだ。
他にも歴史に名を残すような偉業を成し遂げた人の経歴や、人類にとって大きな発見や発明を成した人の軌跡などを吟味すると、どう考えても家庭が満たされていたとは思えない。
皮肉ではあるが、仕事に一心に打ち込む、人生をかけて何かにのめり込むためには、家庭は空虚でなければ無理なのであろう。
活躍することと、幸福になること、この二つを両立させるためには、非常なバランス感覚が必要になる。
私は前者に関してはもうどちらでも良いが、後者だけはどうしても終生のうちに一度、手に入れたいと願っている。
また一度手に入れたら、死ぬまでそれを大事にすることに熱を注ごうと決めて居る。
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