そんな中、ブログというのは実によい習慣なのでは無いかと最近強く思っている。
それはただ趣味として面白いというだけのことではなく、生涯の内職にできるという点が大きい。
もちろん今後時が流れれば、ブログという形態は廃れるのかもしれないが、それはアンテナを張っていればいいだけのことで、時代の流れが流れる方向に移ろえば良ろしい。
文章や日記、絵や音楽発表、料理紹介や情報発信が小銭稼ぎになる、ということ自体がネット上で不可能になる日などまあ来ないだろう。
むしろこれからの時代もっともっと可能性は広がるはずだ。
そういう時代にあれば、体が不自由になって仕事ができなくなった老後の、お金の心配、というのが、昔よりも相当軽減されるのでは無いかと予想している。
生涯を通しての三大出費というのがある。
ひとつは家を購入するとか家賃を払うのに必要な「住宅資金」
ひとつは子供の教育に必要な「教育資金」
最後は老後の生活に必要な「老後資金」
一般的には、住宅費用は4800〜6000万円、教育資金は公立だけで高校まで進学したとして500万円プラス大学費用で計約1000万円、老後資金には約1億円、用意したいというようなプランが、よくライフプランやファイナンシャルコンサルタントなどと言われて提案される一つのモデルケースだ。
しかしこれはあくまで一般的なモデルケースであって、削れるところなどいくらでもある。
サラリーマンとして半生バリバリ活躍して稼ぐ御仁が一家に一人居れば、何もカツカツと削ることは無いかもしれないが、この数字を鵜呑みにして、これくらいは使うのが当たり前なんだと、これくらいは生活維持に費用をかけないと人並みの生活、幸せは望めないんだと思われないほうが良いと思う。
そんなものは社会の作り出す幻想とかそういう類のものである。
まず家賃やローンの必要が無い家がある御仁は、そこに住みさえするだけで生涯で5000万円前後の節約になる。
私は運良くこれがあったおかげで、生涯で約2万時間ほど金を稼ぐために使う時間を削ることができた。
次に教育資金に関しては、それぞれ親御さんは子供さんに入れ込みたい思惑を色々お持ちだろうから、特に無理に削ることも無いだろう。
しかしこの500万という数字の約3割は、学費など以外に必要な「学校外活動費」が占めるということを考慮しておくと良いかもしれない。
つまり、塾だとか、学習机だとか、ピアノや水泳といった習い事、家庭教師、そういうものに費用をかけ始めると、500万は平均かかるだろうという数字であり、逆に言うと、そういうものを抑えれば、300万程度で済ませるのは全然可能だということでもある。
最後の老後資金。
これが今回主に語りたいトピックなのである。
この老後資金1億という数字は、退職金、年金各種を含めての1億であるから、一般にまあ、3000万円くらいの貯金を、定年退職するまでに貯めておいたら、この目標額くらいには到達するでしょうと言われている。
3000万円の貯金。
これが老後に突入する人の目標額として、広く扱われている数字である。
あるのだが・・・・
「こんなに要るだろうか?」
私のような人間には首が80度ほど傾く疑問である。
疑問というよりほとんど否定である。
「こんなに要らない。」
なぜこんなに蓄えておかなくても良いと思うのか。
それは、完全に耄碌してしまうまでは、ちまちま体に負担なく稼ぐ方法があるからである。
それがブログだとか、そういう、ネット上で活動する行為全般である。
今現在、60歳以上の方でこういうことでお金を稼いでおられる御仁というのは、かなり少ないと思う。
そんな世代では無いのだから当たり前だが、中にはボケ予防などと言ってご自分の料理などをアップされて、非常に広く人気を誇るご年配の御婦人ブロガーなどもおられる。
これからの時代は、こういう人がどんどん増えると思う。
また、私が60、70になる頃には、そういうことは当たり前になっているのでは無いかと予想している。
体力が要らない上、一生頭を使える。
積み上げ続けれるし、長く続ければ続けるほど有利に展開するフィールドである。
もちろんサラリーマンで稼ぐよりは収入は望みにくい。
一定以上の額を稼ぎ出すには、才能や人柄が必要になってくるだろう。
しかし一定額くらいまでは、努力だけでなんとかなるし、その努力というのも、社会人として毎日8時間も10時間も働き詰める努力と比べたら、屁のような努力でしか無い。
あとは生涯にかかる維持費を抑え、仕事にかかるストレスを抑え、細く長く稼ぎつつ、自由時間を得る。
そういうライフスタイルが選べる時代に確実になる。
そういうライフスタイルにおいては、定年が無い代わりに、膨大な蓄えを必要としない。
贅沢ができない代わりに、常に自由で居られる。
こういうライフスタイルが成立するかどうかは、パートナーに理解されるかどうかだろう。
独り者なら自分の采配ひとつで生きていけるが、家族を維持していくとなると、今までに無い非常識で型破りな家族の在り方が求められる。
例えば男だろうが家事育児などへの主体的な参加が当たり前となるだろうし、女だろうと男だけの稼ぎに頼れ無い部分が出て来るだろう。
今までの当たり前の家族の在り方、というものを望んでいる人とは、こういう生活は実現できないのが現実であろう。
時間の流れ、時代の流れによって、それら価値観はしかるべきように変動していくのは火を見るより明らかであるが、広まり浸透するには相当な時間がかかるであろう。
少なくとも今この時代にあって、このような生き方は異端中の異端であり、その価値観を共有できる人と愛し合うなどというのは、確率的には難しく思える。
ただ似た者同士は勝手に惹かれ合うので、不可能とは全く思わないが。
エコ、という流行りがひと昔前あった。
その考えは現代人の根底に広く浸透している。
ミニマリズム、という流れが押し寄せ、その思想は現代人に今広がり続けている。
これらの感覚がもたらす先の時代に来るのは、今よりもはるかに質素なライフスタイルであろうと予想している。
贅沢をするために一生懸命働く時代から、あくせく働かなくても生き生きとした生活を維持するための摂生を追求する時代になっていく。
今はただ
「貧乏くさい」
と笑われるようなライフスタイルでしか無いが。
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