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ある”元”新聞配達員について
2017年5月24日水曜日

お金持ちの価値観に付き合って、皆が金額競争大会に出場する必要は無い。

人はどういう時に優越感や劣等感を抱くか?
たとえば船を貸し切って東京湾に繰り出し、シェフに自分たちのためだけに作られた特別な料理をふるまわれ、普通の人がひしめき合って陸から眺める花火を、海から優雅に眺めていたら、人は優越感を抱くのだろうか。
たとえば今日の晩御飯が、カップ焼きそばのみで、外から響く花火の音を聞きながら、それをすすったりしている時に、人は劣等感を抱くのだろうか。

だいたいは当たっているかもしれないが、心の動き方の仕組みをもう少し詳しく考えるなら、それら状況のみで、そういう心理になるというわけではないと思う。

人が優越感を感じる時というのは、自分が見える範囲、大事だと感じるフィールドの中でうまく事が運んでいると感じるかどうかで決まる。
船の上で花火を楽しむ御仁はそれを頼りに優越感に浸るかもしれないが、陸にひしめく中でも、いい位置が取れたと優越感に浸る家族もあれば、見にくい位置に立ち見で居ても、最高の相手と居ることに優越感を感じるカップルもいれば、家で焼きそばをすすっているだけでも、最高だと優越感に浸っているのかもしれない。
そこには明確な勝ち負けは存在せず、何を心の拠り所として設定しているかに依る。
あらゆる分野で他を圧倒する人など居ない。
自分が大事だと限定した分野において、自信を持てるか持てないかにかかってくる。

また人が劣等感を感じる時というのは、そういう自分が大事に感じる分野において、自信が喪失し、満足が揺らいだ時に起こる。
それは自分と他人を比べて見劣りしている時などテキメンに感じる。
だから別にカップ焼きそばや花火を観に行けない状況だけで直接劣等感など感じないのだが、家の前を楽しそうに通り過ぎていくカップルなどを意識し始めて、そういう心理にどんどん自分を追いやってしまうわけだ。

他人と自分を比べることなど、百害あって一利無いのだが、なぜか心は、そうとは分かっていても、自分を痛ぶるのが好きなのかというくらい、それをやってしまう。
そしてダメだダメだと思いながらも、その考えを辞めようとできない、むしろぐるぐる繰り返し考えたくなる変な生き物である。

他人を意識しすぎるとこの思考ループから抜け出せなくなる。
とにかく自分である。
自分に必要なものは何か。
これは絶対大事だ、と思うもの。
例えば死ぬ時にまっさきに思い浮かぶであろうものーそれはダイヤモンドや高級レストランのコース料理や高級ブランドのバッグでは無いのは明白だが、そういうものにひたすらフォーカスする。
それをすでに見つけておられる御仁は、そこからブレずに、他人の価値観設定に惑わされず、ただただそれを大事にすれば良いし、それを未だ見つけられていない御仁は、他人の動向など気にせずそれを探し求めることに集中して生きてゆくのがよろしかろう。
他の雑多なことにあれこれ心を囚われないことが肝要だ。

劣等感は感じるだけ損、優越感は勝手に感じておいたほうが得である。
優越感や満足感は別にグローバルなルールに則って勝利しないと獲得できないものではない。
自分ルールで勝手に感じるただの思い込みである。

話は少し逸れるようだが、自分へのご褒美、という習慣がある。
この習慣のハードルは、上げないほうが得だと思う。

ご褒美にはピンからキリまであるが、私のような”キリ”の人間が自分へ捧げる褒美など、朝に飲む、インスタントコーヒーを使ったカフェオレくらいのものであるが、”ピン”の人は、いちいち宝石を買ったりコートを買ったり長い名前の料理を食べたり大変である。
しかし、私がカフェオレを飲んで感じる快感と、フレンチコース料理を食べる人が感じる快感など、そう変わらない。
私は私で、このカフェオレ最高にうまいなと、勝手に満足感に浸っているし、長い名前のフレンチ料理を食べる人は食べる人で勝手に、こんな美味しいものは他に無いと浸れば良いだけのことで、私とこの御仁との間にはなんの抗争もなければ勝負も無い。
わざわざ、世の中にはもっと美味しいものを食べてる人がいるんだろうなあと想像を巡らして、自分をみじめに追いやる必要は無い。

では安くあげれるならそれに越したことは無いではないかと思う。

お金が有り余っているなら、どんどん使って経済を潤していただけば良いのだが、大抵の人はそういう金銭感覚にはなり得ない。
それでも頑張ってお金を使いたくなるのは、よりよい自分へのご褒美を自分に捧げて、より優越感や満足感を感じたいと願うからだろう。
しかしこれは、お金持ちの価値観に庶民まで付き合わされている感じである。

食パン一枚安いマーガリンをつけて頬張っているだけでも、十分に味覚は快感を覚えているはずなのだが、なぜかわざわざ表参道まで出かけて行って、高いだけのパスタを注文して写真をネットにアップしてから食べないと快感を得られないというのは、損である。
結局同じなのだ、感じている満足感の量など。

金額で設定されたルールに則って勝ち負けを決めるフィールドで、優越感劣等感を決めようとする御仁は、修羅の道を行っていると思う。
そういうフィールドではあまりに数値的に比べられすぎる、明確すぎる。
だから優越感に浸りやすい、という側面もあるかもしれないが、すぐに暗転直下劣等感にも苛まれやすい。

お金から少し離れたフィールドで、勝負というか、構えられるのが良いのではと思う。
お金のフィールドでのアレコレは、お金に恵まれた御仁が勝手にやっていれば良いだけのことで、お金に恵まれていない御仁まで、わざわざそのフィールドに迷い込んでコテンパンにされる必要は無い。
例えば私は時間とか自由とかいうものを大事にしたいが、社会的成功や知名度、金銭やコネクション、人望や容姿や特殊な技能・才能といったようなフィールドに、自分を置こうとは思わない。
向いていない。
そういった分野での大会でもあれば、私はブービー賞でも獲得するだろう。
しかしそんな私でも、お金を消費しなければ、お金を稼ぐ時間を削ることができて、そうすれば時間に余裕が生まれて自由になったりすることに、自分なりの価値観の中で満足感を覚えているし、勝手に悦に入っている。

私のことを「羨ましい」などと思う御仁はこの世に居ないかもしれないが、それでもやはり優越感や満足感というのは案外に感じられたりするものである。

お金を稼ぐ行為、仕事こそ人生の喜びと感じている人はそれで良いのだが、満足を得るためにお金がたくさん必要、だからたくさん稼がなくてはと感じている御仁にとっては、浪費を重ねるほどに満足どころか不満が募る。
ご褒美、という習慣によって何が得たいのか。
それはちょっとした刹那的な快感でしかない。
それが得られるのならば、別に方法はなんだって良いはずである。

心は習慣を好む。
習慣が快感を生む。
わざわざ高い位置や競争率の激しいフィールドで快感を生む習慣を作る必要は無い。
自分に向いている、自分ルールで、獲得しやすい満足設定をすればよい。

もちろんそれは”誰もが羨む生活”では無いかもしれないが、誰も”誰もが羨む生活”こそが幸せの形だとは言っていない。
ただ単に、誰からも羨ましがられるだけの生活であって、本人がどう思っていられるかは、本人次第である。

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