私にも昔、漠然と何か文章を書いてそれを職業にして、生計を立てられたらいいなと夢見ていた時期があった。
物を書くのが好きだったし、得意だとも感じていた。
結局その思いは中途半端なモノだったので、その道で金を稼ぐという事は叶わなかったのだが、そういう夢を追いかけたり諦めたりする道程で感じた事で、人は、まあなんにしても”幸せになりたい”というよく分からないもんやりしたゴールを目指しているわけであるが、その一番想像しやすいモデルとして、”やりたい事を仕事にして生きていく”というレールを目指すのだと思う。
何故やりたい事を仕事にしたいのだろうか?
それはたぶん、褒められたいからだろうと感じる。
自分の好きな事をして生きていく、の、好きな事、に当てはまる部分は具体的にどういうものを指すのか。
それは過去誰かに褒められた記憶が最も強く残っている動作なのだろうと思っている。
私の場合は文章を書くと学校の授業中などに、優秀な文章だと取り上げられたりした、というただそんなちっぽけなきっかけがひとつふたつあって、それをいつまでもいつまでも心の中で反芻しては温めて、いつのまにか自分はそのために生きていくんだなんて考え始めたように思う。
そうして結局そういった夢は諦めたわけではあるのだが、とにかくその想いの種火のようなものの感触は今でも残っている。
結局人は、認められたり褒められたりしながら生きていられたらそれで幸せということだ。
そしてそれは特別な技術や、特殊な才能、華々しい成功や社会的な地盤が必ずしも必要なわけでは無い。認め合える、心から共感を共にできる人がそばにひとり、ふたり、居ればそれで十分なのである。
そういう幸せの仕組みのようなものから目をそらさずにいれば、必ずいつかは誰もが見つける、手軽とは言わないが平凡に無数存在する、そのくせものすごく大事な宝のようなものであると考える。
逆を言うならば、夢を追いかけたり成功するというその事実ばかりに目が眩むと、本来地味でどこにでも転がっている幸せの仕組みを、置き去りにしてきてしまうのでは無いだろうかとも感じる。
一般的に成功者という枠にカテゴライズされるような人々を見て、この人は幸せそうだなと感じるのはせいぜい3分の1という程度だが、凡人と呼ばれるような人々を見ても、やっぱり同じように感じるというのが、今回の論の根拠である。
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