読みに来てくださる方に申し訳ない。
以前の記事で里帰りするたびに飛行機代やら新幹線代に万札が飛ぶように消えて泣いている夫婦の話をしたが、私も実家に帰っていた。
私の場合はバイクで移動すればほとんど全く交通費のかからない位置に実家があるので気楽であるが。
しかし相変わらずというべきか、実家に帰るとまあ家の中にある物の量の多さに呆然とする。
そういう世代の人なのだろうとしか言えないが。
例えばリビングに小ぶりな棚が置いてある。
その棚は小さなボックスが5段に積まれたようなデザインである。
1段ずつちょっとした小物を置けるスペースがある。
1段目を見てみると、何やら小さな仏像が置かれてある。
2段目には、飲むのには使わない細工の施されたガラスのコップが置かれてある。
3段目には、これもガラス製の、何に使うんだ?というような小皿と、その中にビー玉が入っている。
4段目にはお土産だろうか、猫の置物が。
5段目には何かに使えるだろうと取っておいているのであろう、布の切れ端が置かれてあった。
私はこの1段目から5段目までを見て、その100%の無駄さにむしろ感心させられた。
もっと言うとこの小ぶりな棚自体の無駄さ。
無駄な棚が無意味な物で律儀に全段埋められてある、清々しいほどであった。
しかしこれらは、ここに棚を置いてそのスペースにこれらを並べた本人からすれば、ここに置きたいものであるのだからしょうがない。
うちの親たちにとっては、何かの縁で手に入ったものたちを、全てできる限り”生かしたい”と思うのだろう。
その結果、とにかくスペースを見つけては飾ってみたり、置いてみたり、並べてみたり、敷いてみたり。
「捨てること=殺すこと」という観念がこびりついて取れそうも無いのだが、私から見たらこれらは、生かすもなにも初めから生きようも無いほどに無駄なものであったとしか思えない。
捨てることは殺すことでは無く、生きる術が無いことを確認することであるし、飾ることや置いておくことが、それを生かしていることとも限らない。
生かし切れないものを大量に抱え込み続けることは、ただのストレスでしか無いだろうに。
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