学ぶという言葉は、真似るという言葉から派生したとも言われているそうだが、学ぶという行為は、まず真似る事なのだろう。
真に似せていく、真似がやがて真になり、さらに新になっていけば、その道を極めたと言って良いのかもしれない。
私は昔から、尊敬する人が居なかった。
両親や教師には尊敬より反発のほうを強く感じたし、他にもこの世界にはあらゆるジャンルであらゆる先駆者や偉人という尊敬の対象になるべき人物が無数に存在するが、私は他人を尊敬し、強く憧れて、その人の歩んだ道に似せて自分の道を行くという事をした事が無かった。
それが”個性”だと頑なに勘違いしていたきらいがあった。
しかしその道で尊敬する対象が居て、その人のようになりたいと、その人に習う事は、真似ることが最も効率良く学ぶことになり、それはいつか自分のものになるのだと最近思うところがあった。
そういえば昔、中途半端にくすぶり続ける自分に、ありがたい言葉をくれていた先生が居た。「とにかく憧れのアイドルを作ってその人を追い求めるのが一番近道だ。」と。
アイドルというのはもちろん、AKBとかSMAPとかそういうことでは無く、自分の中に漠然とある理想に、限りなく近しい理想をすでに達成している先駆者を先生と見立てて、その人を追い求めろという意味だ。
その時にはピンと来ずに、その言葉は聞き流して、ただ無闇になんの指標も失ったままに歩んできた。
もし若い人で、道に迷っている人が居たら、やはりあの先生のように言うしか無いように思う。
「アイドルを作ってその人を追い求めろ」と。
学ぶというのは本人の意欲無くして、与えることはできない。
人を導くというのは、意欲と、そしてその意欲の向かうべき正しい方向を与えるという事なのだろう。
学ぶ意欲と真似る時間を作りたいと、いまさら苦心している。制約は多いが、無理では無いはずだ。
若い時に気付いていたかったことというのは、本当に数多い。
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